2011年12月13日火曜日

★日曜日の黄金色の夕日

 一昨日(12月11日)の夕日は綺麗でした。
 その時、私は車で買い物に出かけていたのですが、夕暮れ時となり、空が黄色から黄金色に近いものに変化したので、夕日が見たくなってそのまま海岸に行きました。

いつもの夕暮れ時の空は、オレンジ色から赤が強くなってゆくのです。しかし、この時はそうではなかったのでした。
 私が海岸に到着すると、すでに多くの人達が海岸から夕日を眺めていて、この光景を堪能しているようでした。そして皆が金色の光に包まれたかのようでした。海からの風は少し冷たさを増しています。やがて、時が経ち、夕日が向かい側岸の地平線に沈み始めると空は赤く変化していったのです。

 自然界の美しさは一枚の写真では到底表せない深みと広がりをもっています。しかし、写真がないと言葉では全く駄目な場合もあるのです。それでとりあえず写真を出してみました。色があまりうまく出ていないように思われますが、それでもこの時の雰囲気などが多少なりと読者の方々に伝わればよいと思うのです・・・

 こうした綺麗な夕日を見て思い出すのは、エドガーケイシー氏が亡くなったときの描写です。その部分にも黄金色の夕日が書かれていたように思います。(彼に関する著書は当時の私にとって精神世界の入り口点でした。今は全く読んでいません。)

 こうした美しい夕日は、自然界を創造した神が、何かを記念するのか、それとも祝福をしているのか、人間は勝手に自分達の活動や追憶に結び付けたがります。それはともかく、自然界はその光景を見る人達には誰にでも、同じ美しい光景を惜しみなく見せてくれているのでした。

 山麓に沸き出でる泉の水はただで与えられていますし、我々が日常吸っている空気も只で人間や生き物全てに与えられています。(空気は生命界の必須要素なのです)。人から金を取って必需品を与えるのは人間だけでしょう。それは人が社会的存在だからで、人は社会へ労働奉仕をする代わりに、社会から全ての必需品を受け取っています。

 それはどうでも良いことですが、こうした自然界の美しさを感じる感性を持ち続けたいことと、その光景を楽しむ時間が、いつまでも得られることを請い願う次第です。

植木淳一

p.s. インターネットは1994年頃からホームページ(http://www.ifnet.or.jp/~jun-old1/)を始めていますが、その時から色々なことがありました。21世紀にはいってからはインターネットのみの活動となりました。その後、このホームページは何度か書き換えられ現在に至っています。最近では2009年に作り直してからそのままです。

2 件のコメント:

Po さんのコメント...

このお写真だけでも
神々しさが十分伝わってきました。

Wood さんのコメント...

この夕日の写真では少し色が違う感じがします。だから当時の雰囲気が伝わらないかもしれません。また、人間の目で見える対象の美的感覚は、そのときの人間のもつ感情にも左右されるわけでしょう。

写真は人間の視野の一部を切り取って残してくれます。一方、人間の目は、辺りを見回してその何倍かの広さの視野を記憶させます。さらには、そのときの光の感覚や風、空気の触感、温度、湿気、匂い、潮の音や人々の動き、植物たちの波動などをも人間は記憶としてもつのですから。

植木淳一