2008年12月14日日曜日

黄金の国日本

日本はかつて黄金の国だった。

日本は過去に金の生産量がたしかに多かったようですが、じつは銀の方が生産量が多かったので銀が流出した結果、国内に金が増えた(?)という不思議なお話です。

金と銀の交換比率を「金銀比価」というのですが、この比率の内外の違いが、かつて面白い現象を生み出したのです。

大航海時代(15世紀中ごろから17世紀中ごろ)までは、イングランドなどヨーロッパの広い地域の「金銀比価」はイスラム世界と同程度の6.5:1であったといいます。一方、日本では平安時代後期の応徳2年(1085年)の相場が5:1で、元寇前後の混乱期である弘安10年(1287年)には一時的に3:1にまでなったものの、およそ金1に対して銀が5から6の時代が続いたとあります。
金銀比価

こうして大航海時代を迎えるわけです。この頃までに、日本では金銀ともにその生産・流通を増加させていましたが、銀の生産が増加したために天正年間(1573年から1593年までの期間)には10:1に、慶長年間(1596年から1615年までの期間)には12:1にまで「金銀比価」が大きくなった。このため、日本から銀が中国やヨーロッパに輸出され、逆に日本へは金が流入する構造が、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて成立したということです。

早い話、当時のヨーロッパ人やアジア人が10kgの金をもってきて、日本の銀を買うと120kgの銀が買えます。その銀をまたヨーロッパやアジアへもって帰り金と交換します。そうすると18.46kgの金が手に入るわけです。これを日本に持ってきて、また銀を買うと221.5kgの銀が手に入るわけです。次には、この銀でヨーロッパの34kgの金を入手して、日本でまた金銀交換すると408kgの銀が入手できるのです。これでまたアジアで金を72.85kg買う。こうして、日本に来るついでに金銀の交換をしてゆくと、4回目には7.2倍強の金になるという結構な小遣い稼ぎができたのです。
これは結局、日本から銀が流出し、逆に金が流入してくるという効果があったわけです。

こうした交易による利益追求が旅行熱を高める現象は、シルクロードに代表されるように古代からありました。シルクロードは、当時、貴重品でめったに手に入らなかった中国の絹(シルク)やその製品をヨーロッパなどの西方世界へもたらしました。その帰路には、逆に西方の銅製品や珍しい品々を持ち帰って東方世界で売り、利益をあげる商人たちが行き来した道(ロード)でした。さらに、こうした交易ルートを通じて東西の情報が流れていたわけです。

金でできた建物(金閣寺のことか)があるとか、日本が黄金に満ちた国だという話を聴いて、シルクロードを行き来していたマルコポーロがそれを東方見聞録に書いたのです。たしかに、仏像は全て金で鍍金されていましたし、金の屏風絵とか金の刺繍をした着物や畳、金で描いた蒔絵など、高級な物品には金が多く使用されていました。そのためにヨーロッパ人達が極東の日本へ行ってみようという旅行熱が高まったことはあるようです。こうした利益追求の道は、また、文化交流の道でもあったのでした。

これは例えとしては悪いのですが、生物界にもあります。
春になると蜜蜂達は、自分達のために花の密をせっせと集めて飛び回ります。ところが花の方は密を蜜蜂に与える代りに、その体に花粉をつけて、それを蜜蜂に運ばせているのです。こうして遠隔地にある別の花に蜜蜂が飛んで行き、花粉がその花に届けられ受精が行われて、花を咲かせた植物の子孫繁栄に役立っているのです。
この自然界の営みの時期は、人間にとって美しい花が見られて、うきうきするような自然界の息吹を感じる季節でもあります。この時期は、まことに自然界の恵みを感じさせてくれる良い季節でもあるのです。
超自然の力により作られたと思われる自然界は、人間もその一部であり、その自然を眺めていると、まさにその力や法則が躍動しているのを感じることができるのです。

こうした共存とか共生の仕組は自然界に多く見られます。そうしてみると、上記の大航海時代に見られた航海旅行も、自然界の適切な時節における活動法則に従ったものではなかったかと思えてくるのです。願わくば、大航海時代に匹敵する次の時代の到来を期待するものです。

この航海時代によってキリスト教や西洋文明が遠く極東の地にまで伝搬しました。このようにして、この時代には世界の文化が交流を促進し、それぞれの文明が混ざりあい、共に発展をして、均一化しはじめたのです。そして、今やさらに多くの人達へ、文明化の恩恵がもたらされようとしています。

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イエス・キリストは、かつて、彼の教えが世界中に述べ伝えられてから世の終わりがくるのだと述べました。また、そのときには彼が再びやってくるのだとも述べています。大航海時代は、そうした宣教師たちを船に乗せて世界各地へと送り出し、その教えを世界の果てまで述べ伝える事に大変役立ったわけです。まことに偉大な時代だったと言えましょう。

イエスの再臨(ふたたびこの世にやって来る)に関しては、次のように記されています。

『イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」』(マタイによる福音書:第24章3節より)
これに対して、イエスは答えられます。その中で、戦争や戦争の噂を聞くが、それはまだ終わりでは無いといいます。
『民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」』(マタイによる福音書:第24章11節ー14節)

つまり、「終わりがくる」前に、こうした聖書の福音が「全世界に述べ伝えられる」と言っているのです。(詳細は下記の全文をお読みください。)

イエスの再臨に関する聖書の記述

『夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続きその統治は滅びることがない。』(旧約聖書:ダニエル書:第7章13節ー14節:新共同訳)

(注:「人の子が・・・天の雲に乗って・・来て」というか所は、人間が雲に乗ることはできないから、霊的な事象ではないかと思われる。)

こういう不況の時期には、こんな結構な話でもしていた方が、良い精神状態になれるかもしれません。

植木淳一

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