2008年8月16日土曜日

祝>「かぐや」月探査衛星の打ち上げ。

昨年からの月探査衛星「かぐや」の成功は、久々に心踊るものでしたね。
「かぐや」の名前は私が応募した名前でしたが、採用されたので非常な関心がありました。もっとも、この名前の応募者数が最大多数だったために、JAXAが採用したという説明がありましたが・・・。命名の認定証と「かぐや」の写真それに「かぐや」のバッジが届いた時には感激でした。
昨年の「かぐや」打ち上げの時には、インターネット放送で見てました。H2Aロケットが真っ白い煙を残して空へ跳び上がって行く様が、なんとも気持ちよく感じられましたね。(この打ち上げの夜にZARDの坂井さんの追悼記念コンサートがあり、武道館へ見に行きました。)

しかし、この探査機が千年以上も昔の物語である「かぐや姫」から付けられた名前であるとは、夢があって良いです。もっとも「かぐや」探査機の現物を見ると、とても月からやってきて、また月へ帰っていった美女からの名前だなんて想像もできないですけれども。
私はこの打ち上げ以来、H2ロケットに関する情報を集めたり、「かぐや姫」の物語の書籍を買ってきて勉強したりと色々やりました。

私のような素人にとっては、やはり、ハイビジョン映像が圧巻で、最初に放映された月面上の「地球の出」や「地球の入り」に見入りました。そうした映像から粘土の塊のようにも思える月表面を見て、月面って不毛な所なんだろうな、という印象が強かったですね。
こうした月面のような他の世界の不毛さを見ていると、多くの生命を育んでいる地球の美しさや有難さを再認識する、という月並な言葉や思いが、どうしても湧いてくるのでした。さらには、人類はなぜこうした不毛な場所へ、大金をかけて探査機を飛ばすのかという疑問が湧いてきます。
結局、それに対する答えは、人類の学術的な知識の取得と、好奇心の満足でしかないように思われるのです。「地球は生命を育む唯一の惑星だ」なんて再認識するのは一度だけ沢山でしょう。

しかし過去の歴史を遡ると、宇宙から地球を見る視点というのは、国境の枠を越えた広がりをもつものです。
かつて人工衛星上から、アラビアの王子が地球を見たときに、感動して「地球に国境なんてなかった」という強い印象をもちました。またアポロ宇宙飛行士は、暗黒の空に浮かぶ青く輝く地球を眺めて「とても愛しい」と感じたそうです。最近の標語では「宇宙線地球号」という言葉があります。人類は同じ地球という宇宙船に乗っている乗客に過ぎないというのです。だから地球を汚さず、紛争を起こさずに、快適な環境に保ちましょう、ということになるわけです。

そうした観点を人類一人一人が持つことにより、せまい地域の利害やそれから起きる紛争を越えた広い心を持ち得るわけです。世界平和を考えるとか、地球規模の環境問題を考えることができるのも、こうした宇宙開発の成果による所が大きいと思われます。こうした宇宙に関する情報を、これからもたくさん地上にいる人間たちに送り届けて欲しいと感じます。

今後の「かぐや」からの情報に注意を払いたいものです。

植木淳一

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