2009年3月26日木曜日

『時』と、『風』について思うこと

『風』は、気象学的に言うと太陽からの輻射により地面が暖められて空気に熱が伝道し、暖められた空気が上昇気流となり、それにより空気の動きが生じて起きるものらしい。だとすると、地球の回転と太陽が「風」の原因といえなくもないのです。

映画では1939年に公開された『風と共に去りぬ』が有名です。
この映画は、米国の「南北戦争」を時代背景にして、激動の時代にたくましく生きる女性を描いた作品でした。綿花栽培をして裕福になった地主たちのいる南部と、工業を主体として発展した北部は、政治的な方針の違いから戦争になったのです。南部では多くの黒人たちが奴隷として売られてきて農場で働いていたのです。戦争は北軍が勝ち、主人公のスカーレット・オハラ(日系人的な名前?)のいた南部の地主たちは敗北しました。彼女の育った古き良き時代は去ったのでした。
奇しくもこの1939年に、第二時世界大戦がはじまりましたが、映画はそれより以前に作り始めたものなので、この戦争とは無関係でしょう。

かつて20世紀初頭から、金融市場崩壊に始まる「世界大恐慌」の風が吹き荒れていました。株式市場の大暴落からはじまった「経済社会の大混乱」は、ついに欧米全体にひろがり、世界的な大不況を起こしました。
そのためインフレ率が高くなり、ヨーロッパでは一万倍になった所があったとか。つまり百円の買いものをするのに、百万円をもってゆかなければならなくなったわけです。このとき年金生活者は自殺した人が多かったといいます。

このために、社会的な改革を行ってこの未曽有の大混乱を乗り切るための努力が各地でなされました。第一時世界大戦やヒットラーの台頭があったり、ソ連のような社会主義国家が誕生し、さらには第二時世界大戦が起きました。
こうして西欧諸国の支配下にあった植民地が独立をし、大部分の国で国王や皇帝が退位して、議会制民主主義国家が誕生し、世界の支配体制までが大きく変化してしまったのです。

現代の株式市場の混乱も、悪くするとこの「世界大恐慌」のようなものが勃発する危険があるので注意が必要です。

宮崎アニメでは『天空の城ラピュタ』の導入部分に「風」の絵が出てきます。島や船が不思議なプロペラにより空中に舞い上がり、そらには飛んでいるものが沢山あったのですが、空の風の精(?)が風を吹かせて、それらを地に落としてしまいます。そうした風景が映画のイントロの部分に描かれているのでした。
『風の谷のナウシカ』も背景に「風」がありました。「風の谷」に住むプリンセスのナウシカ達のいる村は、風の加減で有害な「フカイ」の侵入から守られていたのです。

また、当時「メゾン一刻」という、アニメを俳優たちを使って実写版にした映画で「時」(時計)がでてきます。映画の題名の「一刻」というのは時間をあらわしています。

私は、この映画が公開される一年前に夏風邪をこじらせて肺炎となり、大事をとって入院をしました。医者が入院を勧めたのです。しかし入院後3か月たっても改善のきざしがなかったので、お正月に家に帰った後、自宅療養に切替えたところ奇跡的に回復したのです。まさに奇跡としか言いようがないようでした。(?)

この映画はこの後に封切られました。この時あやうく一命を落としていたかもしれないことを考えると、この題名とか映画のストーリーは他人事ではないと思うのでした。つまりは未亡人に財産が渡り、そこのボロアパートの住人と未亡人が恋に陥るという・・・ジョークですね。

また、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(未来へ戻れ?)という映画ができました。タイムマシンを発明したドク博士とその友人の少年が主人公なのですが、未来と過去を行き来して、なかなか笑わせる映画でした。同様に地球の未来を風刺した「猿の惑星」などもタイムマシン的な要素を持っています。

これらは『風』を時代の変化の象徴とか、戦争、運命などの、どうしようもない動き、として捉えているように思われます。

日本にもかつて、「バブル崩壊」の時代がありました。この時代には、かつての繁栄や富が消え去り、不景気が訪れて現在に至っています。そして、バブル崩壊により、この時代の多くの人達の富が消え去りました。

こうした大きな時代の変化の前には個人の努力はむなしくなります。しかし個人はその変化を乗り越えて生き延びなければならないのです。

そうした中で、人間は逞しく生きる必要性を、それらの映画は主張しているように思えるのです。

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『時』とは日と時間であり、また、その『時代』を意味しています。

かつて『冷戦時代』には、『人類が生き延びられる時間』を意味していたこともありました。つまり一度、米国とソ連の間で核戦争が始まったら、人類は滅亡すると言う考え方が広まっていたのでした。
それで、よく人類滅亡までの時計がテレビなどで表示されていました。

つまり、水素爆弾のような核兵器が大陸間弾道弾ミサイルに搭載されて、ボタンひとつ押すと、そのミサイルが設定されている都市の上空へ飛んで行くのです。

★米国の「トライデント型核ミサイル搭載・潜水艦」
http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/11898302.html
★50メガトンの水素爆弾実験
http://goodnasite.blog93.fc2.com/blog-entry-954.html
★大陸間弾道ミサイル(ICBM)
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761567490/content.html
★世界最大の水素爆弾(最大100メガトンに達するという)
http://www.wikiterious.com/html/modules/pukiwiki/424.html
(これが日本に三発落とされると日本全体が放射能汚染されるという)
(水素爆弾はその破壊力に上限がない。理論的にはいくらでも強力なものができる。)
★冷戦の終結と、戦略核兵器削減条約
http://www.ifnet.or.jp/~jun-old1/kakuheiki/kaku.html

そして、最大の核爆弾は、ミサイルに乗って飛んできて東京の中心上空で爆発すると、千葉県、埼玉県、神奈川県、茨城県の主要部分全域を破壊できる威力があると信じられていました。当時はこうした爆弾が、米ソ合わせて7万発以上も蓄積され、ミサイルに搭載されて、互いに敵国やその同盟国に向けて配備されていたのです。かくして、ヨーロッパや米国ではその恐ろしさが潜在的に広まっていたのでした。米国では多くの家庭の庭先に防空壕が掘られ、核攻撃に備えられていたのです。

しかし、科学者たちの予測では、互いに何万発もの核兵器を打ち合うと、世界が放射能に汚染され、水や食物も食用に適さなくなるというのです。また舞い上がった塵で、太陽が雲に隠れ冷害が起きるために農作物が育たず(「核の冬」という)、地上の生物は絶滅すると言われていました。

こうした中で、あわや全面核戦争がはじまるかという危機が、「キューバ危機」をはじめとして何度かありました。それで、世界的な世論は、危険な核兵器を減らすように米ソ両国に求め続けたのでした。

さらに、そうした報道をマスメディアがし続けたために、大衆を動かして米ソ首脳が核兵器削減条約の推進に務めました。その結果ではなく、偶然にも1991年のクーデター後にソ連が滅びたので、事態は収拾されて事なきを得たのでした。

この冷戦が収まったことで、おそらくもう二度と全面核戦争が起きることはなくなったのです。つまり人類は滅亡する危険をひとまず去らすことができたわけです。うまくすると、「永遠」に近い年月を生き延びられる可能性がでてきたのです。

そうした時代の変化に比べれば、昨今の景気の波は乗り越えやすいものにも思えます。

最近では、「アッセンション」という言葉がよく聞かれます。ある時代の変化を予想して、精神的に向上を図ろうという事がその趣旨だと思われます。しかし、それは自分だけでなく、皆で仲良くやろう、という部分がないといけないのではないかと考えます。たとえばキリスト教では「神を愛すること」と「隣人を愛すること」を、最も重要な教えとして説いています。また、仏教でも慈悲の心を持つことを重要なこととしています。そうした精神が、あらゆる活動の根底になければならないのではないかと最近思うのです。

しかし、この時代の『時』には、さらに深い意味があると思います。でも、それはここに書かないことにします。それは過去の書き込みの中に、その一部が暗示されているかもしれませんし、また、これから書くことになるかもしれません。

植木淳一

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