2009年4月25日土曜日

イエスキリストの復活と再臨

イエスキリストの復活と再臨

前にも述べた話で、重複する部分もあり恐縮ですが、また書きます。

キリスト教の教祖であるイエス・キリストは、その生前に述べた重要なことがあります。それはユダヤの首都「エルサレム」で活動したことにより彼は罪に定められて殺されるが、三日後に甦ることです。このことは「三度」述べたことが福音書(マタイ{16-21、17-23、20-17}、ルカ)に記述されています。またイエスの死後、彼が予言どおりに三日後に復活して弟子達の前に現れた(コリントの信徒への手紙一、15-4、使徒言行録10ー40等)とされています。

歴史的には「過ぎ越しの祭り」の間の水曜日に食事をして(最後の晩餐となった)翌日(木曜日)刑死したのです。そして三日目(週のはじめである日曜日)に弟子達が岩をくりぬいて作ったお墓(遺体安置所)に行き、イエスの遺体がないことに気づき、彼が後に弟子達の前に現れて復活したことがわかったのです。この三日間、祭司達が派遣した兵士達がイエスの遺体を弟子達に盗まれないようにお墓を見張っていたのでした。

このように、イエスの「死」と「復活」に関して、キリスト教では本当にあった事実として考えるわけです。

しかし、現代医学の観点からすると、死後三日後に生き返ることはあり得ないので、この教義は現代人には受け入れられ難くなっている可能性が高いのです。

さて、この話が「あること」の象徴として使用されている可能性を考えて見ます。つまりこの「三日」という日数に「何か意味がある」のかという疑問です。つまり、この死後三日目に甦るという話を「雛形」として、彼の「再臨」に結びつけるのです。イエスは、再びやってくること(再臨:マタイ24-29、26-64、マルコ13-24、ルカ21-25、使徒行伝1-6~11他)を述べていますが、それは彼の生きていた時代とは違う時代のことだと考えざるを得ません。それは、彼の「教えが世界中に述べ使えられてから」(マタイ24-14)と書かれているからです。そこで、その言葉を、彼が再臨する時代を推定するひとつの方法として考えてみます。

そうなると、少なくとも16世紀の大航海時代よりは後の時代と言うことになります。つまり、それまではキリスト教はヨーロッパに限定される形で知られていただけと考えられます。さらには、アメリカ大陸にキリスト教徒が移住して後、米国や中南米の国々が建国されて後の時代のことでもあります。それまではアメリカ大陸にキリスト教が伝わっていなかったはずです。

ペテロの手紙二の3章8節には「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」とあります。このことから、イエスの再臨は、死後「三日目」つまり、二日経過(二千年)した後になるわけです。

この考え方でいうと、現代は西暦二千年を過ぎていますから、すでにその時代に入ったか、入りつつあるわけです。そして、イエスの再臨する時代は「世の終わり」とも書かれているので、終末の世(世界が滅び去るという)ともいえるのです。

(この「イエスの再臨」の正確な時期に関しては「エホバの証人」の考えた1914年とか、イエスの言われた「ダニエル書」から導き出される1939年が面白い考え方です。しかし、ある方面からの1952年説も興味深いものがあります。)

仏教でも終末の世に弥勒菩薩(みろくぼさつ:マイトレーヤ)が地上に現れて民衆を救う、という話が伝わっていますが、インドにはすでにマイトレーヤが現れて(本物かどうかわかりませんが)活動をしているそうです。
この時代をどのように考えるべきなのか、重要なことですが、私は人々にとって迷惑でない方法で説明しなければならないと考える次第です。

また再臨の時のイエスは、前回、聖母マリア様から生まれきたように、子供として生まれてくるのでないことが書かれています。
『イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。』(使徒言行録1-10~11)

つまり「昇天した時と同じ姿でまたやってくる」というのです。
どういうことなのか、我々は期待して待ち望むことにしましょう。

(続きはまた書くことにします。)

植木淳一

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