2010年1月1日金曜日

【謹賀新年】 2010年元旦

本年もよろしくお願い申し上げます。

今日は相変わらずのノンビリな一日でした。
朝はゆっくりと起きて、届いた年賀状をチェックした後、未送のものを新たに作り、発送しているうちにお昼となりました。
昼食は面倒なので、インスタント焼きそばを作って食べると眠くなり、ちょっと昼寝をして目が覚めると午後4時近くです。
夕方、茜色の空が美しいのを見て、そういえば富士山はどう見えるだろうかと屋上へ上ると、遠くのビルに隠れて見えません。それで、近くの陸橋の上に歩いて出かけると、これまた、新たな家が立ち並んでいるので、富士山のある辺りの地平線が見えません。
こうして、急遽、車で海岸へ行き、見晴らしのよい場所から見ようと出かけたわけです。
目的とした現地へ到着する頃には、あたりはすでに暗くなり始めていました。そして、現地へ到着するなりカメラを持ち海岸へ飛び出して撮影したのがこの一枚でした。手持ち撮影で辺りはすでに暗いので、多少手ブレがあると思いますが、なんとか雰囲気だけはお伝えできると思います。

今年も皆様にとって、よいお年である事をお祈り申し上げます。

また、世界が平和で、人類皆が幸福な状態であり続けますように。
人々が創造主の作り上げた世界をより良く知りはじめるような導きがありますように。

植木淳一

6 件のコメント:

Po さんのコメント...

21世紀らしい新たな価値観が広がる年になりそうです。

Unknown さんのコメント...

そうですか?
例えばどのような価値観でしょうか。

Po さんのコメント...

経済効果よりも人間の心や自然を大切にする価値観です。

また人間一人一人の心や行動が、その人をとりまく現実(日々の人間関係、仕事の状況から自然環境、自然災害、天体運行、過去の歴史、過去生も含めて)を自らの学びのために刻々と作り出している、或はその人の意識をその状況の現実に移行させている、という認識です。

従って自己を律することがよりシビアになります。
それが本当の意味の自己責任ではないでしょうか。

Unknown さんのコメント...

レスがあったことに気がつきませんで応答が遅くなりました。

貴方の言われることは、人類普遍的な課題だと思います。つまり人は常にその意識をもつべきだと考えます。

「その人の意識をその状況の現実に移行させている」というのは、日々刻々のことですね。
人の思考力や行動は周囲の状況を変化させる形成力を持っています。それで、誰でも大かれ少なかれ、そうした力を使っていると考えられます。(「天体の運航」は違うように思いますが)
重要なことは、その認識を持つことにより自分の意識(思いとか考えを含めて)状態をチェックして、悪い状態であれば直してゆく。あるいは、周囲の人達や自然界、社会にとって良いと思われる状態、より良い状態、望ましい状態へと意識的に変化させてゆく。そうした操作をすることを言われているのでしょう。

人間(特に男性)は経済的な活動を基本としていますから、その意味で皆が会社や業種が違うように多種の価値観をもち各種の方向性の異なる形成力を行使している。そして、各自がそれを糧として生きているために、会社間の競争などもあり同一方向にその力を常に行使させるのは難しいかもしれない、ということはあると思われます。

その望ましい方向である「人間の心や自然を大切にする価値観」ということですが・・・。

人の行為が正当に相手に評価されたり、人間の持つ自然な感性が大事にされ、一般人が普通にもつ欲求が自然に満たされるようなこと、各自が個人として尊重される状態等、をいうのかもしれません。

また、自然界を大切にすることは、ある意味で文明とは逆の方向性です。文明の進展が自然界を破壊してきました。また機械文明は人間のもつ本来の感性とか行動を有る程度制約してきましたから、その意味で機械文明とは逆方向に進むことが人間本来の思考や活動を取り戻す一助となる可能性はあります。

しかし、全く違う視点から、文明がさらに進むと人間本来の思考や感性を取り戻せるという人もいます。電気洗濯機や調理器、エアコン、自動車などの文明の利器(電子機器や電器製品)は、どんどん手間いらずに発展し、人間の労力は低減してゆきます。また、工場からの有害物質の排出も技術的な発展により減らしてゆくことができますし、自然破壊も起きなくすることは可能でしょう。

こうした文明の中で、人間の心を大切にするということは、実は人間自身の意識にかかっているのではないかと考えます。つまり現代人の時間的ゆとりは、文明化で昔より増えているはずなので、過去の人間達よりも他人のことを考えるゆとりがあるはずです。むしろ、人の心を大切にする必要があるという考えが起きるほど、人がゆとりを生じてきたのではないかというわけです。昔は、それすら感じたり考えたりするゆとりがなかったという可能性があります。この意味で現代文明は良い方向へ進んでいると思われるのです。

これからは、身体的、精神的ゆとりをもつことを日課とするべきでしょう。目先の欲求に振り回されず、心を自然界に向けたり、何もしないでゆったり寛ぐ時間をもつことです。そして、自分の関連する人達の重要性等を考えるわけです。

「衣食足りて礼節を知る」ということわざがありますが、精神的に満足な状態は、ある程度の物質的な土台の上に成り立ちます。いまは就職難で、アルバイトのみで生活している人達にとっては、休日もなく働きつづけている人も多くなっています。また、エリートサラリーマン達の約30%は精神的に疲労していて、精神薬を飲みながら会社勤めをしている統計もあります。これでは、満足な精神的活動は望み得ないでしょう。あるバランスが必要だと思われます。こうした意味で全ての人が衣食住を満足しながら、時間的、精神的なゆとりを持てる社会を皆で作り上げてゆくべきではないかと考えます。

植木淳一

Po さんのコメント...

科学が自然や心を大切にすることの具体例でまず浮かぶのは
動物実験をしないとか天然資源を
必要以上とりすぎない、むやみにほかの天体など破壊しないことです。
近代以降の人間至上主義をやめて貪欲さを克服することです。
自らによって刻々と未来、過去が書き換えられているという認識の基礎は量子物理学でもう20世紀に確立されていることですが、それが生活実感として一般の人に普及してくると思います。
上記のようなことを基礎にすれば
全く飛躍した科学が展開すると思います。

Unknown さんのコメント...

新たな科学ですか?
かつて「ニューエージ思想」が流行ましたが、その第二弾とでも言うべきものでしょうか。
科学技術は、それを用いる人の精神とか心の状態により善にも悪にも作用します。したがって、科学者や技術者たちを含めて一般人たちにも、そうした情操教育や心身の鍛錬が必要ではないでしょうか。

●動物実験について
 かつて「花岡青洲の妻」という映画がありました。あまり良くは覚えていませんが、江戸時代後期の外科医である夫を助けて、奥様が彼の作った麻酔薬の実験台となり失明してしまうのです。(母親は死亡)。しかし彼は世界初の全身麻酔による乳がんの手術に成功します。
 このような人体実験よりはまだましだと思いますが、必要悪と言いますか、今の医学はそうした尊い犠牲の上に成り立っているのですね。現在では大抵の病気は薬を飲むだけで治ります。
 それと共に、日々何千頭と殺戮され食肉とされている家畜たちのことをも考えるべきでしょう。こちらは日々接するので波動が問題となります。

●天然資源に関して
 こちらはリサイクルの徹底化ですね。化石燃料は繊維とかプラスチック製造など燃焼させない使用方法を考えてほしいと思います。

●よい意味での人間至上主義を推進しよう
 人間が健康でストレスを減らした良い環境で暮らすには、きれいな自然に囲まれた静かな環境に住む必要があります。それで自然を汚さない工場とか機械、家庭環境を必要とします。
 それには、科学技術や会社間のすさまじい競争ではなく、ゆったりとした満ち足りた時間が流れる中で、本当に人間に必要な事物を考えるゆとりを科学者や技術者達に与えるべきではないかと考えます。

●歴史の正確な認識と未来への展望をもつ
 過去の人類の歴史はグループ間の闘争でしたが、これからは争いではなく、相互の融和と協調により、地上すべての地域の共存共生体制を作り上げてゆくことではないかと考えます。

●他の天体を破壊しない
 映画「スターウォーズ」の「デス・スター」を思い出します。

植木