2010年1月14日木曜日

●JAL 株式上場を廃止!!

私には思い出が色々とありますが、JAL(日本航空)もあと一週間で(20日)株式会社の上場を廃止されるそうです。

現時点では、四万七千人の従業員を抱え年商1兆七千億円くらいもある会社が、ついに転落してしまうのは残念なことです。こうして、日本の資本主体の会社がまたひとつ消えてゆくのは残念なことといわざるをえません。しかし不景気の波が押し寄せる中で、これも時代の変遷におけるひとつの事件といえるのでしょう。本当になんとかならないかと思うのです。

日本航空は、第二次世界大戦前から日本の主力として民間人の旅客輸送を担当してきました。(軍事専門の「中島飛行機」とは違う。)

そして、戦後は他の航空会社とともに解体処分されましたが、その後、許可されて新たに会社が作られましたそうした中で、この会社の会長まで勤めた日本民間航空界の長、伊藤音二郎氏が成田に住んでいたために、成田国際空港が開設されたのです。彼は晩年には自然農法で畑作をしていたそうです。そして亡くなった後、その土地は成田空港の第二滑走路中央付近の土地となりました。彼の最後の記念碑は滑走路として残ったのです。

私が中学三年生のとき、高校受験で夜更かしをしていて、途中で一息つくのがこの「JAL ジェット・ストリーム」の番組でした。当時はラジオが受験勉強中には好都合でした。(日本航空がスポンサーの番組)

夜の闇があたりを支配する中、この城達也アナウンサーの洒落たトークと軽音楽が流れると、そこにはなんとも言えない異国情緒が漂い、異国への旅へと思いが誘われたのです。それで一息つく時間となりました。本当に懐かしい番組でしたが、今ではその番組を録音したCD「ジェット・ストリーム」(写真:ユニバーサル・ミュージック)が発売されています。

「ジェット・ストリーム」(ジェット気流)とは、地球の中緯度付近の成層圏上空(1万二千メートル位)に吹いている強い西風のことで、これにジェット機が乗ると、燃料を何割か節約して太平洋を横断できるそうです。ジェット機の燃料が、今は純粋な灯油となりましたが、これで灯油も少し節約できるわけです。

この気流がなぜ発生するのかで地球を研究すると、他にも貿易風などの様々な気流があることがわかります。こうした研究を通じて、私達は少しづつ自然界を知ってゆくことができるのですね。今後はこのような科学的研究の新たな進展を期待しましょう。

私はその後、社会人になってから何度か太平洋を横断しました。そして、時にはJALさんのジェット機のお世話にもなりました。

しかし旅はいいですね。ジェット機に乗り、太平洋上の静かな成層圏の上空を椅子に座って居眠りをしながら飛行していると、振動もまったくないので、自分の感覚が自分の体から離れてジェット機の外にまで広がる感じがしたりで、なんだか異世界を旅しているようにも感じるのでした。

●CD「JAL ジェット・ストリーム」No5「Travel back in Time」より

①ミスターロンリー
②グリーンスリーブス
③タイスの瞑想曲
④ユーモレスク
⑤みじかくも美しく燃え
⑥アルビノーニのアダージョ
⑦白鳥
⑧ホフマンの舟歌
⑨ナレーション「スイス」
⑩愛よ永遠に
⑪月の光
⑫恋のアランフェス
⑬パッフェルベルのカノン
⑭ドリゴのセレナーデ
⑮学生王子のセレナーデ
⑯オンブラ・マイ・フ
⑰別れの曲
⑱夢幻飛行

植木淳一

5 件のコメント:

Po さんのコメント...

JALの安心感は貴重でした。
伊藤音次郎さんのことは知りませんでした。
伊藤さんの縁で成田空港ができたのですね。
ジェット・ストリームのTV版もあった気がするのですが
城達也さんの美声、うっとりしました。

Unknown さんのコメント...

この番組から受ける印象の「ゆったりとした時間」感覚は現代では貴重なものだと思います。これは選択された曲から来る印象が大きいと思います。それにメルヘンタッチの番組進行は私たちを異郷世界へと誘います。

「JALジェット・ストリーム」のテレビ版は知りません。最近まで、ラジオ番組で新しい「ジェット・ストリーム」があったような記憶があります。

Unknown さんのコメント...

日本航空は19日に会社更生法を申請し受理されました。
http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=JAPAN-134117&cc=03&nt=00
[東京 19日 ロイター] 日本航空(JAL)<9205.T>は19日、東京地裁に会社更生法の適用を申請し、受理されたと発表した。企業再生支援機構も同日夕、支援の正式決定を発表し、JALは支援機構をスポンサーとして再建を図ることとなった。

Unknown さんのコメント...

補足:
伊藤音二郎氏のつくった「伊藤飛行機研究所」は後に「日本航空㈱」となりましたが、軍事目的でつくられた「中島飛行機」とは違い、民間人の飛行機輸送の発展を目的としていました。
群馬県にあった「中島飛行機」は、第二次世界大戦時に三菱重工業と組んで「ゼロ戦」等を製作しています。

Unknown さんのコメント...

●JALが2002年に日本エアシステムと合併する前は、航空機の塗装に「鶴丸」マークが使用されていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japanese_jal_B747_old.JPG