2010年3月22日月曜日

●映画「時をかける少女」2010年版をみたよ。

昨日、連休でもあり、久々に映画を見に行きました。
新たなSF映画「時をかける少女」(仲里依紗・主演)です。(なんと20日から、わずか一週間しか上映していない!)

私は、1983年の原田ともよ・主演の映画「時をかける少女」がもっとも印象に残っていましたが、同名の映画なので興味をもったわけです。(この年に私は離婚を体験!!以後、独身で現在に至る)
この映画は筒井康隆氏の同名の小説が原作だと書かれています。今までに同名映画やテレビドラマが、6作くらい作られ上映されました。

今回の映画を見ると、1983年の第一作目の続編とも言えるような内容ですが、シンプルな「タイム・トラベル(リープ)」のみで構成されています。1983年版では、予知夢とか時間移動、空間移動に関する様々な交錯したストーリー展開があり、それが一つの見ものでした。
今回の新作映画では、その後日談としてのストーリー展開があります。母(和子)の伝言を深町氏に伝えるために「タイム・リープ(時間跳躍)」へと娘の「吉山あかり」(仲さん)が旅立ちます。そして「あかり」を助けてくれる人間模様があり、過去の父に出会います。そのように、「あかり」が出会う様々な人たちから、過去の母親の人生行路と運命の出会いが明らかにされてくるわけです。そして今回、最も協力的で「あかり」を助けてくれた彼氏(名を忘れた)は、その父親の死により、運命である秋田への旅へ出かけます。

この「タイム・リ-プ」を起こす仕掛けは、原作によると人間のもつ「超能力」であり、それを起動させるには「クロッカス・ジルビウス(身体移動能力{テレポテーション}刺激剤)」という薬品にラベンダー・エキスを加えた薬剤を使用するというのです。これは少し危ない部分もありますが、カルロス・カスタネダ氏あたりの書籍からの発想でしょうか。この映画の最初に、母親(和子)が大学の薬学研究室で作成していたのは、それだったのかな、などと想像しながら見ていました。

1983年の作品では、タイム・リープで現代にやってきた深町(本名:ケン・ソゴル)が、帰りの薬品を持ってくるのを忘れたので、学校の理科実験室で密かにそれを作成していたのです。しかし、ついにそれを完成して未来へと帰る時がくると、その秘密を和子(原田さん)にうちあけます。しかし、タイムトラベラーの鉄則として、過去に影響を与えることが禁じられているので、関係した人たちの記憶を消して帰らなければならないと言うのです。こうして、深町との関わりの記憶まで消され、和子の新たな日々が始まり、映画は終わるのです。(以上は1983年版)
映画を比較することは賢明でないので、あまりしませんが、2010年版は比較的明るく、1983年版は深みがあります。

この映画の教訓として、人間は、考え方によっては日々死へと向かっているので、日々の人生を大切に生きなければならないということでしょう。

人は時々、過去の過ちとか、選択の失敗を嘆くこともあると思います。そうした時に、時間移動をおこなって、過去の失敗を変えてみたいとか、時間を止めてほしいという願望を起こすこともあるでしょう。そうした願望が時間の操作願望や「タイム・トラベル」へとつながるのだと考えます。

1983年版の映画を見ると、今は亡き人達が共演しているのが「時」の経過を感じさせます。

人は、「愛」によりこの世に生まれてきて、一定期間活動した後、死んで去ってゆくわけです。その間に、関わりあった人たちもやがては死に行くので、結局、いつの日にか一般人の存在の記憶や活動の記録も消え去ります。何が残るのかを考えると、様々な人たちとの係わり合いから生まれた、分散した希薄な社会的活動の影響くらいのものでしょう。
つまり人は日々食事をし、そして買い物をします。また会社で働いてお金を得ているわけですが、そうした社会の中の人たちとの係わり合いから、互いに、多少の影響を与え合っているわけです。そうした意味では、人は社会的な存在でしょう。そして、個人は死んで去ってゆきますが、人間社会はそれ自体が消滅しない限りは永続してゆきます。その中に無数の様々な人間の影響を内蔵しながら・・・。

しかし、個人的に見ると、その人の体験はその人固有のものです。そしてその記憶は自分自身のみが永遠に所有しているはずのものです。

そのようなわけで自分の人生を大事にしてゆきたいものです。

私は、人や物が時間軸方向への動きはできないと考えています。つまり禅的な世界観で、世の中は無限に続く「今」しかないのです。そう考えると、理解しやすいし心の安定も得られます。死後は自分だけが自分の死後の実態を知ることができるのです。(ただし過去の記憶や未来の情報{予知など}を得ることはできるようです。)

つまりは、どこかに転生して、また赤ん坊として人間世界に生まれ出るかもしれないし、そうでないかもしれません。自分がこの世に生まれた経緯を考え続けると、その解答が得られるかもしれません。諸派神道のある宗派では、死んで生まれ変わることを「でなおし」と言います。これなどはその端的な表現ではないかと思うのです。

遺伝的な要素と個人の転生とその体験の違いから、全く同じ人はこの世に存在しないのですから、個人はその意味でも大切にされるべきでしょう。そして、大事に一生を過ごすべきだと思うのです。

●「時をかける少女」主題歌

あなた 私のもとから 突然消えたりしないでね
二度とは会えない場所へ 一人で行かないと誓って
私は 私は さ迷い人になる

時をかける少女 愛は輝く船
過去も未来も星座も越えるから
抱き止めて

ゆうべの夢は金色 幼い頃に遊んだ庭
たたずむ貴方のそばへ 走って行こうとするけれど
もつれて もつれて 涙枕をぬらすの
時をかける少女 愛は宇宙の海よ
あせた写真の あなたの傍らに飛んでゆく

●時をかける少女(2010年版)仲里依紗主演
http://www.famitsu.com/present/preview/1231572_1302.html

植木淳一

2 件のコメント:

Po さんのコメント...

タイムトラベルものは思考実験としておもしろいですね。

Wood さんのコメント...

思考実験はいくらやってもいいです・・・

このSF小説の主題である「タイム・リープ(時間跳躍)」は、「タイムマシン」に代表されるように、小説とか映画、テレビドラマなどで様々な形で取り上げられてきました。

しかしこれを科学的に考えると、因果律が成り立たなくなるのが問題です。現代科学の基礎には「因果律」があるので、ことは重大です。

たとえばビリヤードの玉をキュー(棒)で突くと、玉は転がり始めます。「玉が転がり始める」という「現象」の原因は、棒であるキューからの運動エネルギーが「玉」に与えられ、それにより「玉」が運動を始めたわけです。
こうした、原因と結果がほとんど全ての現象には見られます。このように、原因があり結果(現象)が生まれるという関係を「因果律」というわけです。
しかし、ある人が、親の生まれる前にタイムリープをした瞬間に、その人は産まれてきた原因を失ってしまうのです。これは認めがたい事でしょう。

例えば、誰かがタイムリープして、過去の両親の結婚を妨害したとすると、その子は生まれなくなってしまいかねません。時間移動に関しては、その他にも様々な矛盾が生じるのです。

こうした「時間移動」を扱う小説は、因果律の否定をするためよりも、むしろ、人間のもつ精神的な問題とか情緒的な問題を表現するために用いられる例がほとんどのように思われます。

植木淳一