その中に、この野馬台詩(やまたいし)のことがでてきたのです。この詩には、日本の未来が予言されていて、その滅亡(?)のことが書かれているといいます。
この野馬台詩は日本の平安時代(794年-1185年/1192年頃)から室町時代(1336年-1573年)に掛けて流行したもので、中国・梁の予言者、宝誌の作とされています。
第十二回の遣唐使(752-754年)であった「吉備真備(きびのまきび)」が日本に持ち帰ったとされていますが、彼は帰国後、出世して、ついに右大臣の位に上っています。しかし、この詩は偽書の可能性が高いという。読んでみると、ある程度真実のような部分もあり、面白いのでここに取り上げて見ました。
以下に原文とその訳をウイキペディアから参照させていただきます。
(少し個人的に注釈をつけさせてもらうと、一行目の「姫氏国」は、日本のことで、これは邪馬台国の女王卑弥呼が女性であったことから来ているのかもしれません。だいたい「野馬台詩」も「邪馬台国」を意識してつけた名前にも思われるのです。また、二行目の「百世代」というのは何年間でしょうか。「世」という字が古来は「十」を三つ合わせた文字であることから、三十年を意味するのだそうです。したがって、百世代は「三千年」ということになります。)
{原文}
東海姫氏國(東海姫氏の国)
百世代天工(百世天工に代る)
右司爲輔翼(右司輔翼と為り)
衡主建元功(衡主元功を建つ)
初興治法事(初めに治法の事を興し)
終成祭祖宗(終に祖宗の祭りを成す)
本枝周天壤(本枝天壌に周く)
君臣定始終(君臣始終を定む)
谷塡田孫走(谷填りて田孫走り)
魚膾生羽翔(魚膾羽を生じて翔ぶ)
葛後干戈動(葛後干戈動き)
中微子孫昌(中微にして子孫昌なり)
白龍游失水(白龍遊びて水を失い)
窘急寄故城(窘急故城に寄る)
黄鷄代人食(黄鶏人に代わりて食み)
黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう)
丹水流盡後(丹水流れ尽きて後)
天命在三公(天命三公に在り)
百王流畢竭(百王の流れ畢り竭き)
猿犬稱英雄(猿犬英雄を称す)
星流飛野外(星流れて野外に飛び)
鐘鼓喧國中(鐘鼓国中に喧し)
靑丘與赤土(青丘と赤土と)
茫茫遂爲空(茫茫として遂に空と為らん)
{大意}
東海にある日本では
百世にわたって天に代わり(人の治める国になった)
左右の臣下が国政を補佐し
宰相が功績を打ち立てた
初めはよく法治の体制を整え
後にはよく祖先を祀った
天子と臣下は天地にあまねく
君臣の秩序はよく定まった
(しかし、)田が埋もれて貴人が逃げまどい
なますに突然羽が生えて飛ぶ(下克上の時代になった)
中頃に衰え、身分の低い者の子孫が栄え
白龍は水を失い
困り果て異民族の城に身を寄せた
黄色い鶏が人に代わってものを食べ
黒い鼠が牛の腸を喰らった
王宮は衰退し
天命は三公に移った
百王の流れはついに尽きて
猿や犬が英雄を称した
流星が野外に飛び
鐘や鼓が国中に響いた
大地は荒れ果て
ついに無に帰した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E8%A9%A9
吉備真備と比較して、同時代に遣唐使として中国に渡った「安部仲麻呂(あべのなかまろ)(698-770年)」は中国でその一生を終えた人です。中国名は晁衡(ちょうこう)、または朝衡。
彼は才能があったので、19歳で遣唐使として唐に渡り、科挙の試験に合格した後、仕官します。玄宗皇帝の時代に、唐の諸官を歴任して高官に上ったが、ついに帰国を果たせずに73歳で亡くなりました。
彼の読んだ歌が「百人一首」に残っています。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる
みかさのやまに いでしつきかも)
現在、陝西省西安市にある「興慶宮公園」の記念碑と、江蘇省鎮江にある北固山の歌碑には、この歌を漢詩の五言絶句の形で詠ったものが刻まれているそうです。
{漢詩} {日本語訳}
翹首望東天 首を翹げて東天を望めば
神馳奈良邊 神(こころ)は奈良の辺へと馳せる
三笠山頂上 三笠山頂の上
思又皎月圓 また思うのは、皎月の円(まどか)なるを
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%80%8D%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82
異郷の地で、空に見る月は、故郷の奈良の三笠山の上に(春に)見た月と同じ月なんだと、故郷を懐かしみながら歌ったものと考えられます。
歌も、その歌った人の時代的背景を考えると、その表面的な意味から一段と深い意味を感じられるもののようです。
植木淳一
3 件のコメント:
野馬台詩、面白いですね。
平安時代から室町時代に
朝廷で流行していたのですか。
知りませんでした。
この話は、先日見た、奈良の「平城京遷都1300年記念」の特別番組で出てきました。
私もこの番組を見るまでは知りませんでした。
その番組では、遣唐使として唐にわたり二年で帰国して右大臣になった吉備真備のことがでてきます。
彼の入唐中の出来事を記した「**絵巻」が米国のボストン美術館から貸し出され、奈良で展示されているというのです。
番組ではこの絵巻の解説を行い、失われている後半部分を他の書籍にある話から復元していました。
しかし、この絵巻には作り話が書かれているようで、実際には違うことがあったようです。例の阿倍仲麿呂は絵巻中で「鬼」となってでてくるのですが、実際には唐の高官として吉備真備らを補佐していたはずです。
そうして彼が日本に持ち帰った書類の中に「野馬台詩」があったのです。
植木
補足
「東海姫氏国」ですが、この詩が与えられた中国から見て「東海」です。
そして「姫氏国」は一説によると日本のご皇室の祖先にあたる女神の「天照大御神」に由来するといわれます。また、古代中国の「周王朝」の分家の子孫にあたる血筋だとも言われています。さらには中国地方にある「姫路」が「姫氏」だという話もあります。
しかし、ここはやはり巍書に有る「倭人の条」に記載された女王・卑弥呼(ひみこ)の支配する「邪馬台(やまたい)国」=>「野馬台(やまたい)詩」という音の一致から「倭の国」=「古代の日本」を指していると考えた方が自然な感じがします。
植木
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