2011年1月26日水曜日

真珠取りのタンゴ と 人類の幸福

 先日、ドライブ中に車内に流れていたパシーフェイスの「真珠とり」を聴きながら、昔、27歳の頃にロサンゼルス近郊に出かけた時のことを思い出していました。
 そこがどこであったか正確な場所の記憶はないのですが、あるショッピングセンターの中に設置された特別な場所(日本村?)でした。そこでは若くてスタイルの良い、真珠取りの米国人女性が海女の格好をして井戸のようなガラス製の水槽に潜り、アコヤ貝を拾ってくるのです。そして、そのアコヤ貝中にある真珠を取り出して見学者にあげていました。
 真珠王と呼ばれた御木本(みきもと)幸吉(こうきち)氏は1905年に、天然真珠よりも良質の真円真珠の養殖に成功し莫大な富を築き上げました。彼が明治天皇に表彰された時に「世界中の女性達の首を、この真珠で飾り立てて御覧にいれます」と豪語したとか。
 こうして「ミキモト・パール」は有名になりましたが、それ以前の天然真珠だけの時代には目玉の飛び出るほどの高価なものであったといいます。しかし現在では真珠のネックレスは庶民が手に入れることも容易なものとなっています。
 天然物の真珠はアコヤ貝などの中に偶然入り込んだ砂とか石のような異物を、貝が損傷を受けないように表面に貝殻の成分と同じ成分で滑らかに覆うのです。これが真珠となるのですが、その表面が滑らかで虹のような光沢をもつ秘密なのです。御木本氏はこの異物を人為的に貝の中にいれて、均一な大きさで丸い真珠を作り上げることに成功しました。
 御木本氏の活躍は今では伝説的なものとなってしまいましたが、こうした装飾品の製作販売にあたった者達は、世の女性達の幸福感をかなり増大させたものと考えられます。

 ディズニーランドで有名なウオルト・ディズニー氏も「ミッキーマウス」で有名なアニメを描き続け、世の人たちを楽しませました。今ではディズニーランドや映画が彼の遺産となっています。こうした楽しみや喜びを、世の人たちに与え続けた人たちは他にも沢山います。ハリウッドの映画製作会社の人たちも同様でしょう。
 普遍的に世界に存在する価値基準の一つとして「金銭」が上げられますが、もう一つの価値基準として、他人に与えた「喜び」とか「楽しみ」「幸福感」という「量」や「質」が上げられると思うのです。これからは、人物を評価する上で、こうした基準を設定してみるのも悪くはないと考えました。

 新共同訳聖書の「エズラ記(ラテン語)」第七章26節から『見よ、その時がやって来る。その時には、わたしが予告したしるしが現れ、町が花嫁となって姿を見せ、今はまだ隠されている地が見えてくる。わたしが予告した悪から救われた人は皆、わたしのこの不思議な業を見る。すなわち、わが子イエスが、彼に従う人々と共に現れ、生き残った人々に四百年の間喜びを与える。その後、わが子キリストも息ある人も皆死ぬ。そして世は、初めのときのように、七日間、太古の静寂に戻り、一人も生き残ってはいない。七日間が過ぎたとき、まだ目覚めていない世は揺り起こされて、朽ちるべき世界は滅びる。』と書かれています。

 これによると、イエスが現れてから四百年間、人々に喜びを与えるのだそうです。
 これからは未来のイエスに習い、他人に一日に一度でもよいから「喜び」とか「幸福感」を与え続けられたら良いなと思うのでした。
 もっとも、こう思うのは何もキリスト教徒だけではないと思うのです。
 他の様々な宗教も、その程度の差こそあれ、人々に喜びとか幸福を目標にするとか、そうしたものを与える部分があると思うのでした。

 植木淳一

0 件のコメント: