2011年3月11日金曜日

梅の花に思う   生命など

最近は晴れた日には暖かな陽だまりがあちこちにあり、もう春だな、という印象を与えます。
暖かな日差しと、梅の花の園にいると、なんとも言えない楽しい雰囲気に浸れるのです。

こうした印象というのは、やはり長年の経験や記憶の蓄積からくるものだと考えられますが、もうひとつは体(の感覚器官)が発する「感触」のようなものもあるのではないかと思うのです。つまりは「潜在意識」からの来る情報のようなものが。・・・これは私の考える短なるアイデアに過ぎないのですが。

梅のような植物たちは神経細胞がありません。しかし、やはり細胞はあるし、細胞が集積して植物の体ができているので、その細胞群が、春だから芽をだせとか”花”を咲かせよう、とか他の細胞とか全体に指示を出して、植物の細胞群がそれを行っているに違いないのです。そうすると、梅の木は、春だな、とか、冬だ、とか、季節を感じることができるわけです。さらには、花を咲かせてから、葉を出し、実を成長させる、という順序もきちんとわきまえているのです。それは結局、細胞達の活動に違いないのです。

しかし、動物たちはすばやい動きが必要なので、筋肉を動かすために神経系が必要です。一方、植物たちはそうした動きが必要ないので、神経組織はなくてもすんでいるわけです。
つまりは、動物や人間でもそうですが、細胞間の指示や情報の伝達が神経ではなく、特定の情報伝達物質群とか、細胞幕等を伝わる信号により行われているわけです。

さらには、細胞からの情報が、人間の健在意識の上にも昇る事ができるなかどうか、これは重要な問題となるはずです。お腹がすいたとか、トイレに行きたくなった等は、その顕著な一例です。また、妊婦が酸っぱいものを食べたくなる等のこともあります。しかし、そのようなものでなく、もっと微妙で、精妙な情報もあるはずです。

そうしたものは、瞑想中とか、心を開いて潜在意識からの情報を得よう、という努力をしないと得られない(?)ものかもしれません。それが可能かどうかはやってみなければわかりません。これはまたその人の心のの鍛錬度によっても違うと思います。

こうして、植物たちのように動きをとめて梅園の中にたたずみ、梅の花やその香りを楽しんでいると、平和であることや、それからくる「平安」さ、また、悠久の時を感じさせるような印象がやってきて、いつまでもそこに居たくなり、また、ある印象に浸りたくなるのでした。・・・もう年なのかもね。

植木淳一

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