2012年3月14日水曜日

■一日一善(いちにち・いちぜん)運動

○「一日一善、運動」

 これは昔学校などでも聞いた言葉ですが「一日一善」というのは、一日に一つ、良いことをしよう、という意味です。

 仏教には「布施(ふせ)」という言葉があります。人に施(ほどこ)しをする事ですが、信者が僧に財物を施すことを財施、僧が信者に教えを説くことを法施というのだそうです。
 かつては出家した修行者が鉢(はち)を持ち、食事などを請うために歩きまわる托鉢(たくはつ)がありました。これは修行者にとって最も基本的な修行のひとつでありました。そして、托鉢をしている修行者に一般人が食事を恵むことが一般になされていました。

 そうした時代には、托鉢僧に食事を与える、という行為が「善」とされたわけです。しかし現代(の日本)ではそうした僧はいなくなりました。

 かつて、テレビのコマーシャルに「老人に席を譲った」り「坂道で重い荷物を押している人を手伝」ったりする映像が流れました。これは政府のコマーシャルでしたが、世間に「暖かい行為」や「潤いのある人間関係」が広まることを願っての宣伝ではなかったかと思われます。
 善なることをするのは、そうしたちょっとした事でよいのです。その場合、自分が出来ることをする、というのが重要です。

 かつて私が、都内の繁華街へ遊びに出かけた時のことです。その時、私は歩き疲れて、街裏の公園のベンチに座り休んでいました。
 すると、その前ベンチの前にある、大きな籠型のゴミ箱に近づいてきた人がいました。彼は、そのゴミ箱から食物を探し始めたのです。なにか弁当のようなものを探し出して、そこから残飯を食べたりしています。身なりも古い衣服で所々擦り切れた物を着ています。

 私はその光景を見て衝撃を受けました。やがて、何かしなければならない、という強い衝動に駆られました。おそらくその人は、お金がなくて食事にも困っていると推測できました。しかし、こうした人達に衣・食・住、全てを満足させて更生させるには、何百万円という大金がかかる事は明白です。その当時の私には、とても出来ない事のように思われました。
 しかし、何かしようと決断した私は、残り少ない財布から二千円を出すと、その人の手に握らせて「これで何か買って食べなさい」と言って相手に渡し、そこを立ち去ったのです。相手は少し驚いたような顔をしましたが、「それはありがとう」と言ってそれを受け取ったのです。

 結局、私がしたことは、一食分の食事代を与えることくらいでした。
 しかし、世の中に善意が満ちて、通行人が皆、一食分の食事代をそうした人に恵むことができれば、その人は、毎日、食事代が得られるのではないかと思うのです。そして飢えることはなくなります。それでとりあえず、その人は助かっているわけです。

 最近では、マクドナルドの一個百円のハンバーガーでも食事ができますから、他にコーラとポテトチップスというように、五百円でも一食分の食事ができるかもしれません。また、コンビニのお弁当などでも、一応、一食分の食事が食べられます。結局、その人が出来ることで良いのです。

 こうした世の中ですから、食事代を恵むことより、満員電車でお年寄りや体の不自由な人に席を譲ることの方が多いかもしれません。それでも「一善」となるわけです。また、道を聞かれて、丁寧に道を教えることも一善となるでしょう。また重い荷物を持って、苦労しながら階段を上っている人を見かけたら、階段の上まで持って手伝ってやる、などの事があります。つまりは、困っている人を助けたり、やってあげると相手が喜ぶような、そうした「善意の行為」を、常に探し続けることが重要だと思うのです。

 世の中に「善意」がひとつでも増えれば、それだけ世の中も良くなると思うのです。
 今朝は、そんなことを寝起き際に思い起こしました。

 植木淳一

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

★3月11日は東日本大震災から一周年目の日ということで、日本中で開催された追悼集会等がテレビ番組で放送されました。あらためて、この震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災されて生き残った方々のご健康とご幸福をお祈りいたします。

■これは不運な人達への公共投資事業案としての補足です。

以前に、職安の空いている駐車場を利用した、求職者達への援助施設に関して書きました。
この方式の利点は、駐車場の上にビルを建てるので、土地代はいらないということにあります。(一階は駐車場として継続使用できる)。また、求職者達が便利に使用できる点でも特筆すべき点があります。

この方法に関して、ビルの構造で、ある改良点を付け加えたくて書きました。

私が小学生の頃、母親が当時やっていたある宗教団体へ泊りがけで出かけたことがあります。現在でもその宿泊施設では、一泊¥1500円-¥1600円で朝晩の食事付きで泊まれるのだそうです。この食事に関しては、二食なので、一食¥500円くらいで作れれば二食分でも¥1000円ですから、それなりの食事が出来るでしょう。

ここでの問題は宿泊費です。そのビルは、鉄筋コンクリート製で複数の階層構造をもつしっかりとした建物でしたが、宿泊部分ではひとつのフロアーに畳み敷きの大広間と廊下、鍵の付いたロッカーブロックとトイレが夫々ひとつづつあるだけなのです。
それは小さい頃の記憶なので広さは不明確ですが、たぶんひとつの広間に百人くらいは寝泊りできる、かなりの広さがあったという記憶があります。(そこはこうした冷暖房完備の建物がいくつも建っていました。)

この大広間を宿泊者達が皆で使用するのです。つまり寝るときには、宿泊者達が押入れから皆で布団を出して、人数分だけ畳の広間に敷き、そこで雑魚寝です。朝起きたら、皆でそれを畳んで押入れに入れ、洗うものは出して手押し車のような物に入れ、担当者が運んで行きます。その後、宿泊者達が皆で広間や廊下を掃除するのです。

こうしてきれいになった広間に、今度は自分たちで押入れから長テーブルと座布団をだして並べます。そこに食事が運ばれてきて、宿泊をしている人達の中で奉仕的な人達が、一人一人の前に手分けして配膳をして、皆で食べるのです。食事が終わったら皆で跡かたづけをして、食器や配膳板を輸送用の台車に載せて送り出します。こうして食事は終わり、残ったテーブルと座布団はそのまま宿泊者達の談話用の道具として利用されます。あとは各自のスケジュールにより、外に出かける人も居れば残って話をしている人達など様々です。お風呂は大きな銭湯があり、そこで無料で入浴できるのです。洗濯はコインランドリーや洗濯屋のようなものがあったと記憶しています。

こうした施設に似たシステムは、運用も比較的楽で、宿泊人数の増減にも対応容易です。ただし、初期投資費用が大きいのはどのような宿泊形態でも同じでしょう。コインランドリーなどは町中の施設を利用すれば要らないと思います。

また、ここでの生活も、決められた時間に決められた事を行う習慣ができるので、それなりに適度な緊張感が持続して良いのではないかと考えられます。

以上、何かのご参考になれば幸いです。

植木淳一