2012年5月22日火曜日

●金冠日蝕と良寛禅師

日蝕と良寛さんの遺跡めぐり  昨日21日は、太陽が月に隠される「日蝕」の一種である「金環食」が日本で見られました。
 私は、所要で5月19日から新潟市に出かけていたのですが、21日の朝はこれを見ました。食の時にはあたりが少し暗くなったのを覚えています。しかし、食が始まってから終わるまでのこの時間は長くて、他の用事を足しながらの観測となりました。日本で日蝕が見られるのは25年ぶりのことと聞いています。

 また、金星が太陽面を通過するイベントが、来る6月6日に起きるそうです。こちらはこの後100年くらいは起きないので、今、生きている人達にとっては最後の観測チャンスとなるでしょう。  この観測には、日蝕を観測した太陽観測用メガネがまた使えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%98%9F%E3%81%AE%E5%A4%AA%E9%99%BD%E9%9D%A2%E9%80%9A%E9%81%8E

 私は土曜日にでかけてからこの三日の間、新潟市に居ましたが、日曜日は時間にゆとりがあったので、良寛禅師の遺跡めぐりをしました。具体的には五合庵に車ででかけたのです。国上山の山上近くには、越後の国最古のお寺と言われる真言宗の国上寺がありまして、五合庵はそのふもとの本覚院の上方にありました。

 良寛さんは曹洞宗の禅僧で、商家の橘屋の長男として生まれたが、18歳で出家して、国仙和尚に随行して備中の国の円通寺で修行を重ねる。その後、39歳の頃に帰郷して、いくつか転居した後、なぜか真言宗のお寺である国上寺に身を寄せ、そのふもとにあった五合庵に47歳の時から住みました。(五合庵の住み主としては五代目にあたる)
 彼は書家や歌人として有名ですが、その人柄が特に庶民に愛好されたのではないかと思われます。彼の伝記には子供たちとの微笑ましい交流話などが残っています。また、私が子供の頃に聞いた歌には、彼の家の縁の下から竹の子が生えてきたので、床に穴を開けてその成長の邪魔をしないようにした、という話があります。

 部屋の床から竹が生えている、この風情!!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%AF%9B

 「この里に 手まりつきつつ 子供らと
  遊ぶ夕日は 暮れずともよし」 良寛

 ともあれ、彼は世俗の名声や功名とは縁の無い暮らしをして、70歳のときに、30歳の美貌の貞心尼との出会いをしたなど、御伽噺のようなお話があった人でした。(74歳没)国上寺や本覚院(住職が良寛さんの遺品収集家)には良寛さんゆかりの遺品が多く所蔵されているようです。
 世の中には様々な人生がありますね。

 写真にある句碑の碑文は「焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」という有名な俳句です。これは、長岡藩主牧野公が良寛の庵を訪問して、長岡に寺を作るからぜひ長岡に来てほしいと申し出をした時に、彼が差し出した句だという。藩主はそれを断りの返事と考えて帰ったという。
 風が吹くと沢山の落ち葉が落ちてきて、それを掃いて掃除すると、焚き火ができるほどの量になります。実際に見学してみると、良寛のいる山中の草庵は、秋にそうした落ち葉が掃いても掃いても溜まってゆくと思われます。通常はそれを、大変に煩わしいと思うでしょう。 つまり、寺の住職など煩わしいからダメです、という答えだと藩主は考えたわけです。

 このように、俳句や歌によって返事をすることが、昔はよく行われていたようです。
 これで思い出すのは、江戸城を作った太田道潅(おおたどうかん)の故事です。彼が少数の部下を連れて鷹狩りに出かけた折に、雨に降られて近くの民家に雨宿りをしたことがありました。
 身を寄せた民家から出てきた女性に、体が濡れないように蓑を貸して欲しいと部下が頼むと、その女性は申し訳なさそうに山吹の枝をそっと差し出したというのです。それを見て、部下はその家から離れて帰るよう道潅を促したのでした。

 道潅は帰路に、なぜその女性が山吹の枝を出したのか。また部下がそれ以上質問をせずにそこから引き上げたのかを問いただしました。 するとその部下は、その家は貧しいので、貸す蓑がないという返事だったことを告げます。彼は「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに 無きぞ悲しき」という歌を引き合いに出して、「実のひとつだに無き」を「蓑ひとつさえ無い」という意味に取れば、その山吹の枝を差し出した意味がわかると述べたのでした。それを聞いて、貧しい農家の女性でさえ、そのような歌を知っている事に道潅は大いに感心したということです。昔の人達のつつましさや、歌心がわかる逸話でした。(この女性は、かつては良家の子女で今は落ちぶれた家の女性であった可能性が大きい)

★他の情報など
●ニュートン6月号には「太陽の北極も南極もN極になった」という記事がありました。
  太陽磁場の観測装置に「マグネトグラフ」があります。これは太陽表面の磁極の極性を知ることができるものです。おそらくこの観測装置により調べられたことだと思うのですが、太陽の観測をしていた観測衛星「ひので」がこのことを発見したようです。
 通常の磁石とは異なる太陽磁場のこの奇妙な性質を説明するには、かなりの文章や知識が必要となるので、ここでは割愛いたします。興味のある方は類書をお調べください。

 ●放射性物質を可視化するカメラができた
  やはり同じニュートンの記事からです。宇宙開発の担当部署であるJaxaが開発した、宇宙で使用するガンマ線望遠鏡の原理を応用して、ガンマ線の源を可視化して見られるカメラが製作されたそうです。これは、放射能源を可視化して見ることができるので、福島原発からの放射能漏れなどの位置の特定やその対処に威力を発揮しそうです。

 ●現在、世界の人口は72億人とも言われますが、どこまで増えるのか、この人口の爆発的増加がどこまで続くのか注目したいところです。一方、日本の人口は昨年、前年より25万人ほど減少したという政府の報告があります。

 ●私たちの銀河系に惑星が1000億個も存在している?
  太陽系外の他の惑星を探している研究チームが発表したお話です。それによると、太陽以外の他の恒星にも、惑星が1つ以上はあるという新たな予測が公表されたとのこと。(ニュートン2012年4月号より)それらを統計的に分析した結果、この銀河系の中には、惑星が1000億個も存在しているという予測がなされたそうです。

 植木淳一

4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

様々な言い伝えから、良寛禅師は子供達と遊び戯れることを、こよなく愛し好んだようです。
 子供達の心は純真で無垢です。そうした子供達と遊び過ごす事は、おそらく自分の心の垢もぬぐわれる心地がするのでしょう。その事は古今東西を問わず良き事と考えられているように思われます。

 それで、つぎの聖書の一節を思い出しました。
 『そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」』(マタイによる福音書・第18章1節より5節)

 これは勝手な憶測ですが・・・良寛さんは禅僧なので聖書のことは知らなかったでしょう。しかし、直感的に、それに関連したことを悟っていたために、子供たちを観察し、似た境地を目指していたのかもしれません。・・・これは、あくまでも個人的な想像です。

 植木淳一

Unknown さんのコメント...

また、思い出したことなど。

 こうしたことを書いてよいのかどうかわかりませんが、ついでに書いておきます。

●なぜ地球の人間は「過去生の記憶を持っていないのか」

 これは、地球で生まれてくる子供たちに、そうしか過去生の記憶などは忘れてしまうように教育を施してしまうからだ、というのが理由のようです。これに関して、時々、過去生の記憶をもって成長した子供がいても、それを精神異常だとか気のせいにしてしまうような地球の因習があります。そうすると子供は、無意識のうちにそうしたことを忘れようとして心の奥深くにしまいこんでしまうのです。

 以下の文章はA氏の著作にあった記事です。この文章から、そうしたことがあるのかどうか、実際に確かめてみるのも一興かと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー A氏全集第11巻P368 より
■進歩を妨げる古い因習と伝統

『そもそも、地球の子供たちにしても、正しい進歩の過程を自然にたどり得る状態で生まれてくるんです。でも我々地球の大人たちがそれを許さないんです。(以下、大人達は伝統と因習にかかわり過ぎていることを指摘)。この世界の子供達は、そうしたタイプの海の中に、そうした雰囲気の中に生まれてくるわけです。そして、さらにその心の中に、両親をはじめ、祖父母、叔父、おば、兄、姉、といった人々が彼らのアイデアを放り込みます。その結果、子供達は持って生まれた自然な才能、あるいは自然な性質を表現する機会を、あっという間に奪われてしまうのです。
 他の進歩した惑星の子供達は、その機会を充分に与えられています。向こうの人達はその事にとても気を使っているのです。彼らは生まれてきた子供をじっくり観察します。たとえば、こども達がベビーベッドの中で微笑んでいるときに、あるいは何かを言いたそうな表情をしている時には、実際に話しかけているのです。我々の心にではなく別の何かに向かってです。彼らの意識の年齢は創造主のそれと一緒です。そのとき彼らは、同じ意識を持った我々の細胞に向かって話しかけているんです。

 生まれたばかりの子供達は、いかなる恐怖も知りません。つまり完璧に純粋な状態にあるわけです。他の惑星の人達は子供たちを、そのような観点から観察しているわけです。赤ん坊の心の状態は様々な印象が刻み込まれる前の真っ白な状態にあります。そして向こうの大人たちはその心が語ることにじっくりと耳を傾けるんです。その結果、彼らはときおりテレパシー、すなわち印象言語を用いて、伝えようとしている価値ある情報に気づきます。そして彼らはそれを利用します。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 こうした赤ん坊達は、その惑星の状況を宇宙的な観点から感想を述べるうるわけで、そのことから、自分たちの惑星の特徴なり、宇宙的な状態からのずれなどを感じ取ることができるわけです。また、親たちが知らない情報が得られることもあると考えられます。そうして、彼ら(赤ん坊達)は進んでいる惑星社会に貢献している事を述べています。これは「宇宙的な観点」から、その惑星社会の進歩を行える方法であるわけです。

 この後、過去生の記憶に関しての質疑応答があります。(同書P369より)

●子供が小さい頃にもっている大人の「目に見えないお友達」は過去生の姿
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『質問 私の孫息子は、幼い頃、彼だけにしか見えない遊び友達をもっていました。
   女の子の友達のようでしたが、私たちには全く見えませんでした。彼は、その女の子に名前をつけ、その子のことをあれこれと私たちに語ったものでした。私たちはそれを聞いても別に驚きませんでした。というのは、娘もまた子供の頃に娘にしか見えない遊び友達を持っていたからです。(以下略)』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 この質問に対して彼は、ある女性に1500人にものぼる過去生を思い出させた体験を話し、そうした大人の目に見えない子供の遊び友達は、本人の過去生の姿であることを説明します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー (同書 P372)
『子供達はそれを見ているんです。たとえば今ここに生まれた赤ん坊たちが二年後に初めて遊び友達を得たとしましょう。彼らにしか見えない友達をです。その場合、十中八九、その友達は彼ら自身の直前の過去の生涯における姿です。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 こうした過去生の姿を見る能力は、子供時代を過ぎると徐々に衰えてゆくようです。しかし、子供たちの過去生を見る能力を奪うような発言をする大人達に出会う機会が少ない人達は、大人になってもそうした能力を得続けている人もいるそうです。

 彼は、子供たちがそうした能力を維持・発展する機会を与えるべきだと言います。つまり、大人たちが子供にその能力を気づかせるのです。具体的には、その見えている大人の友達は、貴方の過去生かもしれないことを思い起こさせるわけです。そのようにして、子供達は自分の過去生を思い出して行くのだそうです。

 そうでなく大人になった人達は、ある物事に親しみを感じるとか、ある場所に非常な関心を持つなど、過去に関連をもった記憶がそうして微かに現れるのが普通のようです。

 私はこうした話が真実なのかどうか、機会があれば、実際に確かめて見たいと考えています。

 植木淳一

Unknown さんのコメント...

★過去生を思い出す方法!?

 たとえば、自分の子供が上記のような「見えない友達」のことを話したら、どうでしょう。へたをすると、親は顔色を変えて「そんなこと人に言っちゃだめよ!」と怒鳴るかもしれません。これが地球の習慣的想念です。それ以後、その子は、そうしたことを言わなくなってしまいます。そして、自分自身もそれが普通で良い事だとして、忘れ去ってしまうでしょう。

 これに似たような事例は多くあるでしょう。
 しかし、子供に過去生のことを思い起こさせることが、利益があると思われたなら、むしろ積極的に、過去生のことを思い出させる努力を親も手伝うべきでしょう。つまり、その子が過去生ではピアノを上手に引いていたとか、絵がうまかったなど、他にも様々な才能を持っている可能性がわかるかもしれません。

 親はその時に、恐怖心を持ったり相手を異常だと決して思わないことです。いらいらしてもいけません。
 ごく普通に、暖かな思いやりをもちながら、楽しそうに「その人はどんな服装をしているのかな?」とか「いくつくらいの人?」、「どこから来たのかな?」とか、細かいことを少しづつ聞いて上げることでしょう。そうすると、その子のビジョンも鮮明になります。できれば、それを絵に描いてもらったり、話したことを日記に書いたりしてもよいかもしれません。

 やがて、その人のことがわかるにつれて、その子の記憶もよみがえってくるかもしれません。
 その姿が、直前の自分の過去生の姿だとしたら、そのときの記憶を思い出すのは容易なはずです。

 重要なのは、その子が思い出すのを手助けする姿勢が大切です。これは、大人でも過去の出来事を思い出すときにはそうするように、あわてず、気をそらさず、時間をかけてゆっくりと行うのが良いと思われます。あとは、その子との信頼関係ですね。

 親も子供を持つようになったら、それなりに、きちんとした心構えを持たなければならないわけです。

 とはいえ、私はその家の親御さんの方針に口を挟む気は毛頭ありません。
 この点は誤解ありませんように。

 植木淳一

Unknown さんのコメント...

★「生まれ変わり」と「復活」をめぐるキリスト教の教義に関しての補足です。

 さて、今日、一般的に言って、キリスト教では「生まれ変わり」を意味する「転生」(再受肉)などは無いと考えられています。
 しかし、聖書をよく読むと、そうではない可能性があるように思われるのです。
 聖書では「転生」とは言わずに「復活」という言葉が使用されています。この内容を聖書中で読むと、生まれ変わりという意味も含まれていることがわかります。

①信徒達は「復活」を信じ熱望していた。

 まず、パウロの書いた手紙「フィリピの信徒への手紙」を読むと、『わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。』(フィリピの信徒への手紙・第三章10節ー11節)というように、復活への熱烈な希望」が述べられています。

 この中で「キリストとその復活」と述べているのは、マルコ、マタイ、ルカの福音書中に記述されている事柄を指します。つまり、イエスは磔刑にかけられて死んだ後、三日目に復活すると予言して、磔刑後、三日目に墓の中から蘇ったことを指しています。

 『イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。』(ローマの信徒への手紙・第四章25節)

②庶民の「復活」がイエスの活動の大きな目標の一つにあった。

 『わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。』(ヨハネによる福音書・第六章44節)

 『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。』(ヨハネによる福音書・第六章54節)

③洗礼者ヨハネは、預言者エリヤの生まれ変わりであった。

 この復活に関して、イエスは具体的な例をあげている箇所があります。
 イエスは洗礼者ヨハネに対して『実は、彼は現れるはずのエリヤである。』(マタイによる福音書・第十一章14節)と述べています。この時代からはるか昔の旧約聖書中に出てくる、最も有名な預言者のひとりである「エリヤ」が、なぜ彼の時代に生まれ出てきたのかを考えると、「生まれ変わり」(再受肉)によるとしか考えられないわけです。この洗礼者ヨハネは当時生きていたある女性から生まれたことが書かれているからです。

④聖書中には、生まれ変わりの原理が述べられている。

 それでは、こうした生まれ変わり(再受肉)が、その「復活」の意味する教義の一部にあるとすると、それはどのように行われるのでしょうか。実は、その原理が書かれている記述が聖書中にあります。

『食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。』(コリントの信徒への手紙1・第十五章13節ー14節)

 この場合の「主」は、自分の内に居る霊的な存在を指しているとも考えられるますが、それが神により復活し、その主により私達も再生するという事が考えられます。

 『死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。』『わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」』(コリントの信徒への手紙1・第十五章42節ー55節)

 ここには、「自然の命の体」とは「胎児」のことではないかと考えると納得がゆくように思われます。精子が蒔かれて卵子と結合すると胎児に成長します。そこに、死者からの「霊体」がやってきて宿るのです。しかも死者側から見ると、この移行は一瞬の間であるかの記述となっています。(詳細は、このblog中にある「復活」の各文章をご参照ください)

④ 当時の教義では、復活があるとするファリサイ派と、無いというサドカイ派の2つの派閥があった。

 『パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議場で声を高めて言った。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである。』(使徒言行録・第二十二章6節ー8節)

 こうした2つの派閥の争いは、現代にいたるまで続いていると思われます。
 そのために、教義をめぐる混乱があると考えられます。
 以上、ご参考までに書きました。

 植木淳一