2012年8月5日日曜日

★先日大東岬に出かけました。

 先日は知人と一緒に大東岬へ出かけてきました。近くの海岸で海水浴をした後、車で大東岬の高さ五十二メートルの山に登ります。途中の登山道は狭いのですが、車だと昇るのが楽です。そして駐車場へ車を置いて、海の見える展望台へと歩いて向かいました。ここからの眺めは絶景で、本当に気持ちが良くなります。
 しかし、この山は砂岩で出来ているために、海食を受けて、毎年、次第に崖が削られています。大東岬灯台の「建設銘文」にも、25年前に崖が削られてきたために、当時の位置から百メートル内陸にある現在の位置に灯台を建設し直したことが書かれています。
 また、昨年来たときには無かった「立ち入り禁止」の柵が、展望台の手すり側に設置されていたのです。これは海食の速度がかなり速いことを意味していて、いずれは現在の展望台も無くなってしまうのではないかと考えました。

 観望後に、展望台近くでお店を開いている人から、ここからの眺めは房総第一の眺めだと聞きました。確かに過去には、映画などでここからの光景が使用されたことがありました。海に差す光の加減で海の色は変化しますが、昨年来たときには夢のような明るい水色でした。それは夕方近くの日が落ちかけた時だったためかもしれません。
 この沖合いには浅瀬があり、そこでは昔、風呂で使う風呂桶のような大きなアワビが取れたという話でした。今でもよい漁場になっているようです。

 これはちょっと怖いお話ですが、昔はこの沖に陸地があったそうです。しかし、永禄の大地震(1703年12月31日?)のときに、その平野が水没して、この浅瀬ができたのだそうです。当時は、沖合い八キロくらいのところまで陸地があったのですが、今でも海図でその陸地が浅瀬として確認できると言います。そこにあった村は全滅でした。
 過去の房総半島付近の断層は、大地震で動いた時に、その移動方向として、陸が上昇する方向が多いので、これはちょっと不思議でした。ここだけは例外的な部分なのかなと考えたのです。しかし、これは専門家の詳細な検証が必要だと思われます。
 昔、私は車で房総半島最南端の館山へ向かって走ったことがありました。その時、崖に見える地層が、皆、南を上側に傾斜していた事を思い出しました。つまりこれは、南の陸地が上昇したことを意味しています。だから太平洋側から押し寄せるプレートの圧力がそうさせたのだろうと考えたのでした。

 また、この灯台のある山のふもとには飯縄寺があり、彫り物師で有名な「伊八」の残した彫刻があります(天狗と牛若丸)。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E3%81%AE%E4%BC%8A%E5%85%AB

 また、本堂正面には「天狗のお面」が飾ってありました。伊八氏の作品は、ここから少し離れた行元寺(波と宝珠)にもあります。この「波と宝珠」の構図が葛飾北斎の冨嶽百景の浮世絵にも影響を与えたという話を聞きながら、過去へ思いを馳せたのでした。ここでは色々と発見があり、面白い旅となりました。

 http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/net-tv/kankou/fusanokuni-071219.html

 植木淳一

0 件のコメント: