2012年11月21日水曜日

⚫風邪の最中に考えた事。(最後の千年紀)

⚫再び、イエスの再臨についての妄想

私が風邪を引いて寝ている時に、ある考えがふと蘇ってきました。

そうだ、今は「終わりの日」ではなかったのか。
今の我々は、地上世界最後の千年間にいるのだ。
だとすると、この地上世界はあと千年も続かない。
(聖書には一日を千年と考える発想があります)
こんなにのんびりして居て、良いのだろうか?
何か成すべき事はないのか。

というような事でした。
(もちろん、その最後に何が起きて地上人類が滅亡するのか、私が知る由もありません。もしかして、巨大隕石が落下しても人類滅亡はありえます。しかし地球は存続するでしょう。)

その最後の千年間の始まりが1939年だとすると、終りの2939年まで、あと927年もあります。

これは十分に長いと考える人が多いでしょう。それとも、月面とか火星など、最後のあがきとして宇宙へ逃げて、地上の何らかの災害から逃れるには短い期間だと考える人も、少しはいるかもしれません。

⚫「エホバの証人」達の証言より考えること

過去に「エホバの証人」たちは聖書の預言に対して、ひとつの証明を果たしたかに見えました。それは、1914年に第一次世界大戦が始まったことに関連しています。

福音書の中でイエスは、自分が未来に再来する事を述べています。
その兆候として幾つかの現象を述べていますが、その中の一つに、聖書の福音が世界中に宣べ伝えられることをあげています。

この場合の「世界」が、当時のローマ世界だという可能性もありますが、神聖ローマ帝国時代にも彼の再来はなかったようなので、この仮説は考えないことにします。

そうなると、この「世界」は本当の地上世界という事になります。すると、16世紀に世界を股にかけた大航海時代が始まったのも、その前提条件を満たすものと考えられます。つまり、この時代前には、その条件が満たされていなかったわけです。そうして、世界に福音を携えた宣教師達が出かけて教えを宣べ伝えて、20世紀を迎えるわけです。

さて、それでは「エホバの証人」たちは何を伝えたのでしょうか。

それは、聖書に従った生活を過ごすことですが、預言に関して重要な事がありました。
もともと聖書には預言の成就に関して、謎解きとして書かれている事があります。
その画期的な出来事は、過去にも何度か書いたように1914年を異邦人が支配する「七つの時」の終わりとした事でした。彼らがその年に何かが起きると考えていると、第一次世界大戦が発生しました。

また、ユダヤ最後の王朝がローマの将軍ポンペイウスにより滅ぼされて(BC63-62年)から二千年目として1939年が得られます。この年には第二次世界大戦が勃発しました。これは偶然でしょうか。それとも、預言が成就したと見るべきなのでしょうか。

1914年と1939年は、互いに25年の差はありますが、21世紀初頭の年です。この時代に、聖書の預言に関連した出来事が起きたのです。

⚫イエスは3日目に復活する

さて、これに関連してもう一つの考え方があり、それとの重複も見逃せないのです。
それは、福音書の中でイエスが再三にわたり述べていた「彼が死後3日目に復活する」という事柄です。

福音書にはイエスが磔刑で死に、遺体が岩穴のお墓に葬られたが、3日目に弟子たちがお墓に出かけてゆくと遺体は無くなっていました。そして、近くにいた天使(?)に、イエスは蘇ってそこに居ないと告げられます。後日、弟子達はイエスの霊体(?)を観て復活を信じることになりますが、イエスは昇天してゆきます。この記述から、イエスは復活したことが説明されます。

ところで、イエスの再臨というのはいつ起きるのかというと、それは「終わりの日」です。

イエスをもてなしたラザロの妹マルタは「終わりの日の復活の時に、復活する事は存じております」(ヨハネ11章24)とイエスに言いました。
また、この「終わりの日」は、やはり千年単位に考えるべきようです。 ペテロはイエスの再臨に関して述べています。

「主のもとでは一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人達は遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです。」(ペトロの手紙二、3章8ー9)

こうなると、イエスの再臨は、三日目という事になるのではないか、という仮説が成り立ちます。
つまり、イエスが亡くなった時が第一日目の千年間の間であり、二日目の千年間がそれに続き、今は三日目の千年間が始まっているのです。しかも、この千年間が「終わりの日」と言われる特別な日なのです。
まとめると、
第一日目、紀元前61年:ユダヤがローマにより属国とされた時〜
第二日目、939年〜1939年
第三日目、1939年〜2939年

というわけです。
さて、この千年の間に人類は何をなすべきなのか。また、何が出来るのかを再考するのも悪くはないと思ったのです。もちろんこれは、無理をして大衆のために働けといっているのではありません。せいぜい百年くらいの寿命しかない自分自身のためにも為すべきことがあるのではないかと思うのです。

貴方だったらどうしますか?

植木淳一


⚫補足です。

紀元前と紀元後の年代で、期間計算をする場合には、ある点に注意する必要があります。それは以下の計算でわかります。

(1)紀元後⒉年4月と紀元後1年4月の間は1年です。
計算では、2-1=1、となります。

(2)紀元後2年4月と紀元前1年4月との間は2年です。
計算では、2-(-1)-1=2、となります。
この場合、(-1)は紀元前一年を表しています。
また、紀元前と紀元後の年数計算では-1する必要があります。

(3)紀元前62年から千年後は紀元何年でしょう。

まず、求める年をXとします。すると、上記の(2)から、
Xー(-62)-1=1000
という方程式ができます。
この式を変形して計算すると、
X=1000ー62+1
X=939
で、求める値が939年であることがわかります。

また、このBC62年にユダヤの王権が滅んでローマの属国となって二千年後の1939年に、ヒットラー率いるドイツ軍がポーランドに攻め入りました。そして、ヨーロッパの他の列強がドイツに宣戦布告して第ニ次世界大戦が始まったのです。
こうした数値は単なる偶然の一致かもしれませんが、何かその背後に作用している力の存在を考えてみたくなるのです。
そのキーワードの一つが「大艱難」の時代と言えるのかもしれません。

もう一つの補足。

★ユダヤ暦は9月中旬から10月初旬に新年を迎える。

つまり、ユダヤではお正月が夏にあるのです。
このことから、ある疑問が成り立ちます。それは、ローマの将軍ポンペイウスがエルサレムを占領して、ユダヤをローマの属国としたのは紀元前63年と歴史書に書かれていますが、もしかしたら夏のお正月を過ぎて、次のBC62年になっていたのではないかとも考えられるのです。(これはあくまでも可能性であり個人的な考えです)
ポンペイウスは春からエルサレム攻撃を用意して、三ヶ月をかけてエルサレム城を包囲したとあります。そして、城を攻撃して占領し、その事後処理や、ユダヤを属国とする手続きまで含めた期間を考えると、9月から10月を過ぎてもおかしくはないと考えるのです。

結局、ユダヤ暦は太陰太陽暦であるし、一年の境目が夏にあることから、西暦年と比較して一年くらいの差が生じる事は良くあると考えておいた方が良さそうです。

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